さいからの小言

twitterで言えないようなことを

大学にオタクファイルを持っていくということ

どうでもいいことだが、僕はオタサーに所属している。

オタサーに所属すると周りには自然オタクの友達が多くなる。

そのせいで人間皆オタクとかいうひねくれた人間が出来上がってしまった。僕である。

僕は学校のプリントをいれるファイルにオタクファイルを使用している。animejapanというイベントでもらった「selector infected WIXOSS」のファイルである。ちなみに僕はこのアニメを見たことはない。

なぜ使っているのかと言われると、単純である。たまたまファイルを持っていこうとしたらそこにあったからである。それ以上の理由はない。たまたま料理をしようとしたらじゃがいもがあったから使った。そんな感じである。

このオタクファイル、表面には女の子の画像、裏面には文字がかいてある。僕はどこかのオタクのような缶バッチを大量につけ主張するオタクではなくこっそりと生きるオタクなので裏面の文字しか書いてない方を上にして机におく。しかしこの前気づいたのである。表面の女の子たちも日の目をみたいのではないかと。

ファイルに描かれた女の子たちは人から見られるためにファイルに描かれてるのではないかと思う、しかしもし表面にして机の上においてみよう。たちまち僕は学類から干されてしまうだろう。僕みたいなオタクはこじらせるととても厄介である。ファイルの有用性の向上と引き換えに僕の他人からの評価を地に貶めたくはない。

そこでふと思った。ファイルを変えてみたらどうだろうかと。そこで僕はファイルを変えることにした。慶応大学の三田祭に行った際にもらった「内定塾」と書かれた意識高い高いファイルである。まさにゴミとして生きてた人間がいきなり神として生きることになってしまった、ラノベレベルの大転換である。

次の日僕はその意識マシマシファイルを机においた。するとどうだろう。一気に自分が意識高い高い人間になったような気がするではないか。僕の心は舞い踊った。この気持ちをtwitterに呟きたい。twitterを開く僕。そこに写るは自分のオタクアイコン。僕は我に返った。自分は何をしてもしょせんオタクであると。

次の日、オタクファイルをもって大学に行った。ありのままの自分をさらけ出すのよ。女子の目線なんて少しも寒くないわ。僕は机の上にオタクファイルをおく。女の子を上に向けて。

僕がその後デスクトップアイコンがアニメ画像よりファイルがオタクであるほうが気持ち悪いということを女子に言われて泣いた話はまた別の話である。